女優や歌手として活躍されていた神田沙也加さん。
実の母親である松田聖子さんと以前から不仲説が噂されていました。
2021年12月19日に神田沙也加さんが亡くなった経緯についても、松田聖子さんにうまく伝わっておらず、神田沙也加さんが危篤状態にもディナショーを開催していたという情報もあるほどです。
今回の記事では、松田聖子さんと神田沙也加さんの仲について深堀してみました。
Contents
神田沙也加
- 本名:神田沙也加
- 芸名:SAYAKA
- 生年月日:1986年10月1日
- 年齢:35歳(2021年12月時点)
- 出身地:東京都
- 職業:女優、歌手、声優
神田沙也加さんは東京都出身の女優、歌手、声優です。
1999年芸能界デビュー、デビュー当初はSAYAKAという名前で活動していましたが、2005年に活動休止、2006年に神田沙也加という名前で活動再開しています。
2014年に大ヒットした『アナと雪の女王』の王女・アナ役の日本語吹替えをしたことで、声優だけでなく、歌でも一躍注目を浴びました。
また、神田沙也加さんと言えば、まず頭に浮かぶのがご両親や元夫です。
神田沙也加さんは、歌手の松田聖子さんの一人娘。
父親は俳優の神田正輝さんです。
松田聖子さんは24歳で神田沙也加さんを出産されています。
松田聖子さんと神田正輝さんとの結婚生活は約11年半続きましたが、1997年1月に離婚が成立してしまいます。
松田聖子さん34歳、神田沙也加さん10歳の時のことです。
親権は松田聖子さんがもち、以後神田沙也加さんは松田聖子さんに育てられることに。
2015年1月23日発売の「日刊ゲンダイ」によると、神田沙也加さんは両親の離婚後しばらくは普通に生活できていたようです。
ビッグカップルの長女として1986年に生まれた沙也加は、祖母にあたる聖子の母親に厳しくしつけられ、両親の離婚を経験するものの、のびのびと生活していたという。(日刊ゲンダイ)
松田聖子さんは離婚の数か月後の1997年4月に「私だけの天使〜Angel〜」という曲を発表しています。
これは娘である神田沙也加さんへ書いた曲で、歌詞からは松田聖子さんの神田沙也加さんへの深い愛情が伝わってきます。
約束するわ ママの命賭けて
あなたのことを 守ってゆくわ
それがママにとって 生きがい
何より素敵よ あなたがこの世に
生まれてきたことが(私だけの天使〜Angel〜)
これを見ると、母親からの愛情も豊富で仲の良い親子関係が築けていたのではないかと感じますが、実はそうではなかったようです。
仲が悪いと噂される理由を順番に紹介していきます。
【理由5つ】神田沙也加と松田聖子の現在の関係は不仲?
神田沙也加さんと松田聖子さんの関係性が仲が悪いと言われている理由は、5つあると言われています。
- 幼少期からの複雑な思い
- 松田聖子のスキャンダルに嫌気がさした
- 松田聖子の仕事の事情に振り回される
- 神田沙也加の恋愛に干渉
- 結婚に反対
- 事務所問題
- 紅白共演での嘘泣き
以上のことが噂されています。
それでは1つずつご紹介していきます。
理由①幼少期からの複雑な思い
神田沙也加さんは、神田正輝さんと松田聖子さんの一人娘。
2人はお互いにビックな有名人だったたけに「聖輝の結婚」と言われ、神田沙也加さんは生まれた時から「スーパータレント」と呼ばれ、芸能マスコミに注目されていました。
そのため、「松田聖子の娘」とうだけで幼少期からかなり異例扱いをされてきたようです。
有名人の中でもハイクラスだった松田聖子の娘ともなると、幼少期からかなり苦労することがあったことが分かります。
また、親が松田聖子ともなると、常に期待されプレッシャーと隣り合わせの人生だったのではないでしょうか。
神田沙也加さんは、小さいながらに親に対する複雑な思いを抱えていたように思います。
理由②松田聖子のスキャンダルに嫌気がさした
神田正輝さんと離婚後、松田聖子さんは1998年5月に6歳年下の歯科医師波多野浩之さんと交際わずか2か月で再婚。
記者に結婚の決め手を聞かれた松田聖子さんは、「会った瞬間ビビビッときた」と言い、「ビビビ婚」と話題にもなりました。
しかし、再婚から約2年半後の2000年12月に波多野浩之さんとの離婚を発表。
週刊誌では離婚の理由が松田聖子さんの不倫ではないかと報じており、神田沙也加さんが松田聖子さんに対する不信感を募らせる原因になったようです。
松田聖子さんと言えば最初に結婚したのは神田正輝さんですが、結婚前には郷ひろみさんと熱愛関係にあったと報道されていました。
その他にも、松田聖子さんには再婚や熱愛報道が数多くありましたよね。
- ジェフ・ニコルス…松田聖子の元英語講師
- アラン・リード…松田聖子の元バックダンサー
- 波多野浩之…歯科医師(2回目の再婚相手)
- 河奈裕正…慶応義塾大学准教授(3回目の再婚相手)
さすが大物歌手だけあって、恋多き女性ですよね。
松田聖子さんに交際が報道さえる度に、娘である神田沙也加さんにも取材が入っていたとみられます。
娘にとって母親のスキャンダルほど聞かれたくないものはないと思います。
恐らく神田沙也加さんも、母親のスキャンダルのことを聞かれる度にイヤになってきて、仲が悪くなったのではないでしょうか。
理由③松田聖子の仕事の事情に振り回される
神田沙也加さんは小学6年生の頃、松田聖子さんの仕事の事情で、拠点をアメリカに移すことが決まります。
神田沙也加さんは、中学校は中高一貫性の私立高校への進学が決まっていましたが、入学直前に予定変更となりアメリカに行くことになります。
松田聖子さんが再婚した夫も共にアメリカへ移住することになるわけですが、神田沙也加さんはそのことに抵抗があったようです。
入学直前に聖子が米国に拠点を移すことが決まり、“ビビビ婚”した継父とともに渡米するかの選択を迫られたようだ。
「継父と一緒に行くことが当時の私にはすごく抵抗があったんですね」(日刊ゲンダイ)
神田沙也加さんは当時思春期で難しい年ごろでしたでしょうし、継父という存在が受け入れられなくても仕方がないですよね。
結局、神田沙也加さんはアメリカにはいかず、全寮制の中学校に入学するのですが、そこで待っていたのは壮絶ないじめでした。
自分で色々考えた結果、寮に入ることを決心しました。でも、寮ではすさまじいいじめが待っていて。寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね(日刊ゲンダイ)
松田聖子さんの娘ということでいじめの標的になってしまったようです。
2015年4月4日発売の「週刊女性」に、イジメの内容が掲載されていました。
下着を盗まれたり、布団を濡らされたこともあったそう。(週刊女性)
その後神田沙也加さんは寮を出て遠い親戚のもとから通学しますがうまくいかず、結局松田聖子さんが暮らすロサンゼルスの学校に行くことに。
しかしそこでもうまく馴染めず、最終的には日本の中学校に戻ることになったようです。
血縁のない遠戚のもとに移って通学生になったものの続かず、聖子が暮らすロスの学校に編入したという。
「英語も最初は全然分からないし、周りにもとけこめない。母親がコンサートツアーやディナーショーで家を空けることも多くなって、日が浅い継父と一緒に過ごすことも難しくて」
結局、聖子らと離れ、日本の中学に再編入したという。(日刊ゲンダイ)
中学時代について神田沙也加さんは、
正直辛いことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました(日刊ゲンダイ)
と語っています。
2015年1月28日発売の「女性自身」では、当時神田沙也加さんが相談できる相手は母である松田聖子さんではなく、祖母であったと掲載されています。
学校でのいじめや、継父との関係といった悩みを相談できるのは、アメリカ進出に燃えていた母・聖子ではなく、祖母・一子さんだったのです。現在の母娘冷戦の遠因には思春期から芽生えていた母への不信もあるのでしょう(女性自身)
理由④神田沙也加の恋愛に干渉
神田沙也加さんは15歳になった2001年から「SAYAKA」名義で芸能活動を開始します。
SAYAKA(松田聖子の娘、神田沙也加)の2002年デビュー曲『ever since』は神曲。 pic.twitter.com/ludoDnJK
— minazo- (@minazo1120) November 4, 2011
しかし19歳の2005年5月には芸能活動休止を発表することに。
理由は、
神田正輝さんと松田聖子さんの娘という二世タレントの位置づけに耐えられなかった
ことが理由として言われています。
しかも、活動休止することは松田聖子さんには伝えていなかったそうです。
その裏では松田聖子さんと神田沙也加さんの壮絶な親子喧嘩が繰り広げられていたようです。
2017年5月13日掲載の「Asagei+」によると、
沙也加の最初の熱愛相手は03年のドラマ「ヤンキー母校へ帰る」(TBS系)で共演した俳優の石垣佑磨(34)だった。
「行く末は国際的な女優兼アーティストになってほしいと願う母からすれば、ひよっ子の俳優など邪魔なムシケラでしかありません。
聖子が『娘との交際を遠慮してほしい』と直電を入れたことであっけなく別れさせられたそうです。
にもかかわらず、聖子自身は結婚・不倫を繰り返す恋愛体質だった。
しかも、つきあう男を毎回自宅に招き入れていたからあきれます。
年頃の沙也加が母親に根強い嫌悪感を抱いてきたのは間違いないでしょう」(Asagei+)
▼石垣佑磨さん▼
2008年11月には泥酔して警察官への暴行と公務執行妨害の疑いで逮捕され、所属事務所から謹慎処分を言い渡されています。
その後に神田沙也加さんが付き合いだしたギタリストの北野正人さんとの恋愛にも松田聖子さんは猛反対。
▼北野正人さん▼
このことが神田沙也加さんが芸能活動を休止することに繋がったようです。
翌04年には3枚目のシングル曲のプロデュースを手がけたギタリスト・北野正人(42)との熱愛が発覚した。
「北野が一回り年上という年齢差や離婚歴などを理由に、今度も聖子が猛反対。
しかし、沙也加は北野に入れ込み、反対に『タレントは辞めて自活する』と突っぱねました。
ついには家出同然で男と半同棲状態になると、聖子は娘の『活動休止』を発表。これは事実上の解雇宣告のようなもので、ママの方針に逆らった沙也加の給料の支払いはストップされてしまった」
「高校を出たばかりで稼ぎの少ない沙也加には最もつらい事件でした。“兵糧攻め”にあって生活に困窮した沙也加は結局、白旗を揚げてギタリストと別れた。聖子にわびを入れて母のもとに戻ることになったんです」(Asagei+)
神田沙也加さんは、
と猛反発して家出したようです。
確かに、母親の松田聖子さんは複数の方との熱愛や再婚を繰り返している恋愛遍歴なだけに、娘の立場からみるとそう思う気持ちも分かりますよね。
松田聖子さんとの確執が深くなるきっかけとなる出来事だったようです。
理由⑤結婚に反対
神田沙也加さんは30歳である2017年4月に俳優の村田充さんと結婚。
関係者各位・ファンの皆様
平素より大変お世話になっております。
この度は私事でお騒がせしてしまい申し訳ありません。
ご報告したかったタイミングではなく心苦しい気持ちもありますが、一部報道にありま… https://t.co/xwO8jgNozE— 神田沙也加 (@sayakakanda) April 26, 2017
2017年5月13日掲載の「サンスポ」によると、父親である神田正輝さんは挙式に参列しましたが、母親である松田聖子さんは参列しなかったとのこと。
複数の関係者によると、沙也加と村田のハワイ挙式に神田も参列。娘の晴れ姿を見るために、花嫁の父は5日ほど現地に滞在し、11日に帰国したという。
聖子はハワイ挙式に立ち会っていないとみられる。(サンスポ)
他にも松田聖子さんが神田沙也加の結婚に関して祝福コメントを出さなかったことで、二人の不仲説が取りざたされました。
沙也加さんが聖子の知的財産を管理する所属事務所「ファンティック」から独立し、俳優の村田充(44)と結婚。聖子は祝福コメントを出さなかった。
引用:スポニチ
実の娘の結婚式にも参列しなかったということで、更に親子仲が悪い雰囲気へと発展したようです。
理由⑥事務所問題
神田沙也加さんと松田聖子さんの関係が仲が悪いと言われている、5つ目の理由は所属事務所です。
松田聖子さんが元々所属していた事務所は、「ファンティック」という個人事務所。
- 代表取締役:松田聖子の実兄
- 役員:松田聖子の母
という家族経営でした。
当時、3度目の再婚をされた松田聖子さん。
それにも関わらず、事務所のマネージャーと男女関係が噂されていた松田聖子さんは、関係を絶縁するように家族に強いられます。
それをきっかけに、2014年に松田聖子さんは事務所から独立。
なんと、そのマネージャーと「melody fair」という事務所を立ち上げます。
更に、松田聖子さんは娘にも「ファンティック」の事務所の名前を使って欲しくないということから、神田沙也加さんを事務所から追い出してしまいます。
2020年1月10日掲載の「FRIDAY」には、
「’12年に聖子は当時、慶應大学医学部准教授だったA氏と3度目の結婚をしました。知り合ったとき、A氏には妻子がおり、略奪婚でした。
しかし、聖子にはそれまで5年間、一緒に暮らしていたマネージャーのB氏の存在があった。
結婚後もB氏との関係が続いていたため、聖子の母や兄はB氏と絶縁するように聖子に詰め寄ったそうです。
すると聖子は’14年に家族経営の個人事務所『ファンティック』を飛び出して、B氏と新事務所『melody fair』を立ち上げてしまったのです。
あまりに身勝手な聖子の行動に家族は距離を置くようになったそうです」
そして沙也加が結婚した’17年、さらに追い打ちをかけるような事件がおこる。
聖子は『ファンティック』から、沙也加を追い出してしまう。
沙也加は仕方なく、新事務所『ローブ』を立ち上げ、『ローブ』の社長には聖子の兄が、『ファンティック』の取締役兼任で就任。
現在、沙也加が連絡を取ることができるのは、この聖子の兄一人だけだという。
「もはや聖子と沙也加の関係は修復不可能なんです。そもそも村田との結婚式にも披露パーティにも、沙也加は聖子を呼びませんでした。それほど親子の断絶は深いんです」(FRIDAY)
と書かれていました。
神田沙也加さんは、個人事務所「ローブ」を立ち上げ、松田聖子さんとは連絡を取らなかったと言いいます。
ただ、松田聖子さんからすると、
と話していたようなので、母親からすると心配するあまりの行動だったのかもしれませんが、神田沙也加さんからすると重荷になってしまったようですね。
理由⑦紅白共演での嘘泣き
神田沙也加さんと松田聖子さんの関係が仲が悪いと言われている、3つ目の理由は紅白共演での嘘泣きです。
2011年紅白歌合戦
神田沙也加さんと松田聖子さんは2011年にの紅白歌合戦で親子共演を果たしています。
https://twitter.com/urycal/status/1122831637417353217?s=20
紅白歌合戦で神田沙也加さんと松田聖子さんは親子共演し、その番組中に松田聖子さんが涙を流したことです。
親子共演という感動的なシーンに日本中が沸きましたが、その涙が嘘だったという記事が掲載されました。
注目集めや話題作りなどとも言われている松田聖子さんの涙ですが、売れているアーティストでもなかなか出演できない紅白歌合戦なので、やはり親子で共演するということが松田聖子さんにとっては嬉しかったのかもしれないですよね。
2014年紅白歌合戦
同じく2014年年末の紅白歌合戦で、その年の大ヒット映画『アナと雪の女王』の日本語吹き替えを担当した神田沙也加さんはニューヨークで歌を披露。
NHKホールにいた松田聖子さんが映像を見ながら涙を流されているのがアップされたのです。
その涙もウソ泣きと言って話題となりました。
涙の理由は、
娘の成長を喜ぶ本当の涙だったと思いますが真相は分かりません。
神田沙也加と松田聖子の仲良し説も検証
しかし一方で2017年5月11日掲載の「女性セブン」では、松田聖子さんと神田沙也加さんの不仲はデマであるとの報道も。
(https://orange-magazine.com/matsudaseiko/)
「沙也ちゃんと聖子さんはものすごく仲がいいですよ。
お揃いの服で“双子コーデ”をすることもしょっちゅうだし、沙也ちゃんから“お母さんと買い物にいく、食事にいく”という話もよく聞きます。
彼女は聖子さんが飼っている犬が大好きで、“お母さんの犬に会いにいく”とむこうの家を訪れることもよくあります沙也加さんがデビュー直後の十代の時は一緒にCM共演したり聖子さんは何かと世話を焼いていました。
でも成人した頃、“これからは沙也加のプライベートにはかかわらないし、マスコミにコメントを出したり母娘関係をアピールすることはしない。
ここからは七光りではなく歩いて”と決めたそうです。
それ以来、沙也加さんの私生活に関するコメントを聖子さんは一切出していません。
それに今回の結婚はなおさらです。聖子さんが何かを言えば、娘の結婚というおめでたいニュースの主人公が聖子さんになってしまう。
それは母として避けたい。だから沙也加さんには“今回も一切コメントは出さないからね”と伝えていたようです。」
5月13日には結婚披露パーティーを行うというが、聖子は「娘の邪魔はしたくない」と出席する予定はないという。(女性セブン)
松田聖子と神田沙也加はディズニーの歌でコンサート共演していた?
複雑な親子関係のため共演はしていないかと思いきや、2013年8月14日放送のNHK「みんなをつなぐ魔法のメロディー」で松田聖子さんと神田沙也加さんはディズニーの曲を一緒に歌っています。
「アナと雪の女王」の公開前のことですので、まだ神田沙也加さんが有名になる前のことです。
他にも松田聖子さんと神田沙也加さんは2011年の松田聖子さんのカウントダウンライブで共演。
2012年にはヘアカラーブランド「Diosa」のCMで共演するなど、仲の良さそうな様子をメディアに見せています。
こうしてみると、本当に仲の良い親子に見えますよね。
そのため、最近では関係は修復され仲が良くなったとも言われていたようです。